慈悲の心の観音様 力の権化の仁王様 煩悩断ち切る お護摩の浄火

>
お仁王様のご利益 霊験記

お仁王様のご利益 霊験記

お仁王様のご利益

当山の仁王尊天は昔から庶民の間では火事・泥棒除けの「お仁王様」の通称で親しまれ、火消し衆や商家の篤い信仰を得て『江戸の商家で火事泥棒除けのお仁王様のお札を祀らないお店(たな)はない』とまで言われました。

 

これは、与六という信心家の家に泥棒が入り、つづらを背負って立ち去ろうとしたところ、壁に祀ったお仁王様のお姿が、忽然と紙から抜け出し、盗賊を睨むと、眼から金色の光を放ち、盗賊が腰を抜かしたという御利益を題材にした錦絵です。江戸時代に書かれた「上総芝山観世音仁王神縁起」には、御本尊は「人是れを厄除の大士と稱し奉る」と書かれ、またお仁王様については、「尤もっとも霊験多き中にも、盗賊の難を禦ふせぎ疫癘えきれいの患うれいを除き給ふ。尊影を迎えて門戸にはれば、火難盗難を免るのためし尠すくなからず。子なき人誠心に祈るときは、果して求願を満じ、性質虚弱のもの金剛の猶子ゆうしとなるときは、恙なく壮長す。いま取子と稱するもの既に二萬人に餘れり。」と記されています。
大正時代、客殿と庫裡を再建するための資金の一部として浄財が両山講より寄進され、その記念に建立されたのが写真の記念碑です。
両山講とは、成田山と天應山(芝山仁王尊)の両山を参詣する講中(グループ)のことで、その歴史は江戸時代の町火消し「を組」の頭領、新門辰五郎に遡ります。
新門辰五郎の「新門」は浅草寺僧坊の伝法院の新門の門番を任されたことに由来すると云われており、鳶職や香具師等の取締りもする人物でした。
その新門辰五郎の影響下にあった人達が講を組織し、近代まで熱心に火事・泥棒除けの仁王尊詣りをして来たことが窺えます。

 

 今に伝えられる厄除け観音様

火盗難除・災難除けのお仁王様のお札

玄関・台所にお祀りする

仁王様のお姿(御真影大)

携帯に便利な御真影小

財布・免許書・パスポートなどに

携帯に便利な御真影小

携帯電話・ランドセル・自転車などに

観音様の厄除札

観音様・お仁王様がお守りくださる

錦お守り

お仁王様御活躍

交通安全ステッカー